我々は自分の考えた論理に拘泥*しがちである。(* 拘泥(こうでい) こだわること)どこにもほころびがないように論が組み上がったとなると、それが論破されない限り、自分の論は正しいはずだと。
こういう時、相手の論などを聞かない人は多い。なぜなら自分の論にほころびが出るまでは、自分が正しいのであって、そうでない限り、相手の論などに耳を傾ける必要がないのだ。
この考えには、一見、道理があるように思える。
しかしながら、この人の姿勢は論理的態度とは言えない。なぜなら、論理というものは、道具に過ぎないからである。(ここで言う論理とは、数学や物理などの厳密な論理体系のそれではない。私たちが社会生活を営む中で、ある主張をする場合に用いる論理のことである)
論理は道具にしか過ぎないのであるから、例えば、自分よりも優れた論理が目の前に現れたときには、自分が拘泥していた考えをその瞬間にサッと捨てさり、なんのためらいもなく、相手の論理に乗り換えることができる、そういう人が真に論理的な人間であるはずだ。
私の父は晩年はそれこそ偏屈な爺さんになってしまっていたが、たしかに論理的な人であった。それは戦後、30歳という若さで村会議員になり、4期16年の間、それを務める間に身につけたものらしい。
こんな話をしてくれたことがある。
「あのなぁ、誰かが議会でとうとうと自分の論を張るやろ。
そらぁ見事に話を積み上げて、一点のすきもないんや。
ところが、自分はそれに反対の立場で、
反対の結論を言わなきゃならんときがある。
相手の論理に全くつけいるスキがなくて、それが確かに正論のように思えても、
実はな、
同じように誰もが納得するような論理を積み上げていって、
全く正反対の結論を導き出すことができるんや。
オレは、議会での討論を通して、こういうことをよー学んだわい。」
論理はある主張をするための道具にしか過ぎない。論理的に完璧だということがその主張が絶対であるということの裏づけにはならないということだ。
話は変るが、20年くらい前、名古屋に住んでいる私に母から電話がかかってきた。父と喧嘩をしているらしい。もーあんな人と一緒に暮らしとーない。この間、こんなことがあっただの、今日はこんな風だっただの、電話でひとしきり長い愚痴が続いた。
私がシビレを切らし、「ほんで俺に何をして欲しいんよ」と言うと、母はこんなことを言った。
「お前からお父さんに話をしてくれんか」と。
聞くと、父は療養を兼ね入院中らしい。気が重かったが、私は病院へ電話をかけ、父を公衆電話口に呼び出してもらった。
「あっ お父さん? さっきお母さんから電話が来たんやけど。
(中略)
ほんで電話したんやけんど・・・。」
さーここから、何を言えばいいだろうか。
私は、先ほど書いた、父が議会を通して学んだことを思い出した。
「そう言えば、お父さん、前にこんなことを話してくれたことがあったやろ。
(上の話をする)
要するに、お父さんにはお父さんの理屈があるんやけど、
まったく同じ状況なんやに、お母さんから見ると、
正反対の結論を出すお母さんの理屈ってのが存在するんやで。
そういうことがあるって話をいつかしてくれたやないか」
そのときの父は見事だった。
少しの沈黙の後、
「わかった。なるほどお前の言う通りや・・・
よし、今日から俺は変る。変ってみせるわい。」
それは、一瞬の出来事だった。
結局、今回の喧嘩での父の言い分など一言も聞く間もなかった。
同じ状況であっても、相手には相手なりの正義・正論があるのだという「視点」を知らされた瞬間、父は自分の論理を俯瞰(ふかん)する、より上位の論理に気づいたのだ。
そしてその瞬間、父は自分の論理を捨てさった。
電話の最後に「ほんなら、たのむで」と言うと、父は最後にまた繰り返した。
「まー見とれ。スパッと変ってみせるで」と。
これが、研究者であり、研究に関することなら、新しい事実、新しい論理を知った瞬間に今までの自分の論理をすべて捨て去れる人はいると思う。
しかし、これを夫婦の間でやるのは、そりゃー難しいもんやでー。
父がそれから具体的にどう変ったかは、詳しくは知らない。
だが、一瞬でもあんな風に言い切ることができる人間になりたいと思う。