こんな会話をしたことがあった。相手は中1の男の子である。
パスケル「中学生活はどう?」
生徒「なんだかつまんなくて」
パ「中学で何か部活に入ったかい?」
生「いえ、まだどこにも」
パ「どうして?」
生「やりたい部活がないんです」
パ「ふ~ん 君は何か趣味はあるのかい?」
生「将棋が好きなんですけど...」
パ「ふむふむ」
生「将棋部ってのがないんです」
パ「そうか そうすると学校はつまんないかい?」
生「そうなんです」
パ「いいことを教えてあげようか」
生「はい」
パ「まずね 将棋が好きな仲間を見つけて 将棋同好会をつくる」
生「えっ?」
パ「そして君はその初代会長になる。将棋好きな先生がいれば顧問になってもらうように頼み込む。また、他の中学の将棋好きな子を見つけて 郡上市の中学生将棋大会を開く。高校生や小学生、将棋だったら年配の人を巻き込んでいくのもいいね。
そして校長先生に直談判に行くんだ。将棋クラブを部活として認めてもらうようにと」
生「す すごい...」
パ「もし、こんな風にしていったら、どんなに毎日を生き生きと過ごせるか想像できるだろう?」
生「本当ですね 楽しいだろうなぁ」
パ「結局、君の中学生活をつまらなくするのも楽しくするのも君次第なんだよ。
『どうしたら毎日を生き生きと過ごせるか』という質問の答えは、『生き生きと過ごせばよい』なんだ。誰かを当てにして待っているだけだったり、つまらないことを周りのせいにしてちゃいけないということだ」
ところで、先日東海掲示板というサイトを見つけた。
その中で、郡上を訪れた人たちが郡上の良さについて語っているのに対し、郡上在住あるいは郡上出身の人たちは、郡上には何もない、○○もつぶれた、もうさびれていく一方だと、閉塞感に包まれたコメントを寄せている。
確かに中学生や高校生はよくこんなことを言う。
「八幡って ほっとに何にもないんな」
「何にも」とは、おそらく大きなスーパーだったり、ファーストフードのチェーン店などのことを指すのだろうか。
美しい山も川も、踊りも水も街並みも、彼らにとっては生まれてから当たり前のように存在しているもので、その素晴らしさが見えないのだ。
郡上が面白くないなら、自分で面白くしてやればよい。
向こう見ずに新しいことを始めることができるのは若者の特権だ。もっともっと郡上を面白くしたい人に集まって欲しいと思う。